2008-03-11 05:43:19

アリバイ崩れて三千里 [ ブログ ]

今年初ケロロ。うーん?な感じ。
ガンダム00は良い!とっても楽しめている。
世界情勢ってこうなっているのかもなって思わせる。
「てぶくろを買いに」ってお話あったような気がする。
一昨年買った手袋しか持っていない!
傷んでもいいもので、
なるべく安い物を探索。。。。
今日は遠出するわけではないので散歩の格好で出かけました。
手袋ピンキリ。マライカで1000円のを見つけたけれど
パス。
サカゼンでDJh1500円。。
ボイコットセールで4000円?
いいなーって思うものは大抵1万円ぐらい。。。
悩んでいる時に無印700円!で買いました。
母に見せたら2000円に見えると言ったしまあまあかな?
アリバイ

Posted by ken at 2008-03-11 05:43:19 | コメント(0) | Trackback(0)

2008-03-11 05:42:46

競馬で大負け借金苦 [ ブログ ]

先程「着信アリファイナル」を観ました
続編って基本的につまらなくなる
この作品は一作目がとっても面白かっただけに
残念な作品になってしまった。
昨日メールした友達から電話がきて
お互いがビックリ。
私のメールにビックリしたそうな。
友達って連絡をとっていなかったり
会わなかったりすると疎遠になってしまうからね。。
そして今日合唱部の同期が2子を出産したそうな。
前あった時は旦那が育児に参加してくれなくて
育児ノイローゼ気味とか散々病的に愚痴っていたけれど。。
不思議だよね。
人の言っていることを間に受けたらいけないことって結構あるから
空気を読む力ってある程度必要だよね。
椿は散歩が苦手になっちゃったのかなあ、、
前は元気よく走り回っていたのに原因がわからなくって誰に相談すればいいのかな?
ベランダは相変わらず好き。
そう言えば、もうすぐ椿の季節。。
競馬 予想

Posted by ken at 2008-03-11 05:42:46 | コメント(0) | Trackback(0)

2008-03-11 05:41:24

風俗ライターの切望の夜 [ ブログ ]


以前日記に書きましたが私は10年前から
耳の中、入口が荒れて皮がめくれて鼓膜に張り付く病気になっており、
定期的に皮を耳鼻科で除去しないと
聞こえなくなってしまいます。
酷い時には両耳が聞こえなくなって
とても大変です。高収入でしたし。
最近は一ヶ月に一回ぐらいで済むようになりましたが
方耳だけ聞こえなくなっても近距離の
話し声が理解できなくなったりして
かなり支障がでます。
だから少しは大変さ分かります。
病気を抱えるというのは辛いでしょうが
多くの励ましがあるというのは捨てたもんじゃないですね。
風俗

Posted by ken at 2008-03-11 05:41:24 | コメント(0) | Trackback(0)

2008-03-11 05:38:34

高収入でも不幸せ [ ブログ ]


宝飾、アクセサリー業界の見通しは
営業力のあるところは
生き残れると思う。
原料が高騰しているのはホントやめて欲しい。
金g3000円、プラチナg6000円何て馬鹿げてる。
銀でさえg60円となると
正直真鍮にメッキじゃないとやっていけないレベルだ。

お菓子業界でチーズケーキファクトリーの倒産理由は
原料高騰らしいけれど、
貴金属も車やら兵器、コンピュータ関連
先物取引とかに持っていかれて体力で劣る作家は泣くしかない。アリバイもない。
芸能人が身につけていたものって凄く売れるんだけれど
イベントとかでチープなアクセサリを販売していくしかない。アリバイもない。
ハイジュエリーは厳しいだろうなあ、、
では、資産運用。
株よりFX、、、、でもリスクの高さ景気の不透明感に
手を出すことはできない。アリバイもない。仕事中はそんな気にしている場合じゃないし
終わったら疲れちゃうし。。
貯蓄が大事なのはバブル崩壊で痛いほど分かったが
ただ貯金するだけじゃなくて
どのように運用するか真剣に考えなくてはいけないかもね。
とりあえず年金25年制度と65歳から支給ってのナントカして欲しい。
失敗からもっと学んで欲しいね。
高収入

Posted by ken at 2008-03-11 05:38:34 | コメント(0) | Trackback(0)

2007-12-26 14:29:44

それと、ブロバのこと [ ブログ ]

函館山が見える。
本町から南下するあたりでは、
函館山は遠景ではない。
迫って見えてくる。
夏には新鮮なブロッコリーのような盛り上がりのある緑だったが、高収入だが、
紅葉ではないが常緑樹も色あせてきた。
広い路地。
路地はせまいものだとデリヘルは思っていがら、
北海道の路地は広い。
センターラインも路側帯も書かれてない道に、
アスファルトがバリバリ割れてて、
なぜか亀の甲の形に補修されて、
道の先に、海が見えたり、函館山が見えたり、
北のほうのナントカ山が見えたりする。

Posted by ken at 2007-12-26 14:29:44 | コメント(0) | Trackback(0)

2007-12-26 13:37:45

(゚Д゚ ) [ ブログ ]

長女のための手袋を作る。
自分で取れないように、噛んでも大丈夫なように、
フェルトと事務用腕カバーと紐を縫って作った。
使用に耐えるかは、今朝試される。
まただめだったら工夫しよう。
寒くてジャンバーの袖に腕を引っ込めることはするのに、風俗なのに、
手袋はなぜ取るのかなぁ。理解のない知的障害は難しい。
ダウン症のMLでも、こんな低レベルの話題は無視だし・・・

Posted by ken at 2007-12-26 13:37:45 | コメント(0) | Trackback(0)

2005-12-31 23:26:43

     その九 [ ブログ ]

 宗家伊沢の四世は信階である。字は大升、別号は隆升軒、小字(をさなな)は門次郎、長じて元安と称し、後長安と改めた。門次郎は近江国の人、武蔵国埼玉郡越谷住井出権蔵の子である。権蔵は法諡(はふし)を四時軒自性如春居士と云つて、天明四年正月十一日に歿した。其妻即信階の母は善室英証大姉と云つて、明和五年五月十三日に歿した。信栄(のぶなが)の死に先(さきだ)つこと僅に百零三日である。
 先代信栄の歿した時、嫡子信美(のぶよし)が幼(いとけな)かつたので、隠居信政は井出氏門次郎を養つて子とした。信政は門次郎に妻(めあは)するに信栄の妹曾能(その)を以てしようとして、心私(こゝろひそか)にこれを憚つた。曾能の容貌が美しくなかつたからである。偶(たま/\)識る所の家に美少女があつたので、信政は門次郎にこれを娶(めと)らむことを勧めた。門次郎は容(かたち)を改めて云つた。「わたくしを当家の御養子となされたのは伊沢の祀(まつり)を絶たぬやうにとの思召でござりませう。それにはせめて女子の血統なりとも続くやうに、お取計なさりたいと存じます。わたくしは美女を妻に迎へようとは存じも寄りませぬ」と云つた。此時信階は二十五歳、曾能は十九歳であつた。曾能は遂に信階の妻となつた。
 惟(おも)ふに信階は修養あり操持ある人物であつたらしい。伝ふる所に拠れば、信階は武于竜(ぶうりう)の門人であつたと云ふ。わたくしは武于竜と云ふ儒家を知らない。或は武梅竜(ぶばいりう)ではなからうか。

すすきの風俗

Posted by ken at 2005-12-31 23:26:43 | コメント(0) | Trackback(0)

2005-12-30 23:26:28

 わたくしは此説を聞いて、 [ ブログ ]

さもあるべき事と思つた。素(もと)大久保氏には世(よゝ)経済の才があつた。大永四年に家康の祖父岡崎次郎三郎清康が、忠行の父忠茂の謀を用ゐて、松平弾正左衛門信貞入道昌安の兵を破り、昌安の女婿となつて岡崎城に入つた時、忠茂は岡崎市の小物成(こものなり)を申し受け、さて毫釐(がうりん)も徴求せずにゐた。これが岡崎の殷富を致した基だと云ふ。忠茂の血と倶に忠茂の経済思想を承けた忠行が、曾て引水の策を献じ、終(つひ)に商賈(しやうこ)となつたのは、(よ)つて来る所があると謂つて好からう。
 忠行の子孫は、今川橋の南を東に折れた本白銀町(ほんしろかねちやう)四丁目に菓子店を開いてゐて、江戸城に菓子を調進した。今川橋の南より東へ延びてゐる河岸通に、主水河岸の称があるのは、此家あるがためである。後年武鑑に用達(ようたし)商人の名を載せはじめてより以来、山形の徽章の下に大久保主水の名は曾(かつ)て闕(か)けてゐたことが無い。
 宗家伊沢の二世信政の外舅(しうと)となつた主水元苗(もとたね)は、忠行より第幾世に当るか、わたくしは今これを詳(つまびらか)にしない。しかし既に真志屋西村、金沢屋増田の系譜を見ることを得た如くに、他日或は大久保主水の家世を知る機会を得るかも知れない。
 信政の妻大久保氏伊佐の腹に二子一女があつた。二子は信栄(のぶなが)と云ひ、金十郎と云ふ。一女の名は曾能(その)である。
 信政の嫡男信栄は年齢を詳にせぬが、前後の事情より推するに、信政は早く隠居して、家を信栄に譲つたらしい。仮に信政が五十歳で隠居したとすると、信栄の家督相続は宝暦十一年でなくてはならない。
 三世信栄は短命であつたらしい。明和五年八月二十八日に父信政に先(さきだ)つて歿し、長谷寺に葬られた。法諡(はふし)を万昌軒久山常栄信士と云ふ。信政は時に年五十七であつた。
 信栄は合智(がふち)氏を娶(めと)つて、二子を生ませた。長が信美(のぶよし)、字(あざな)は文誠、法名称仙軒、季(き)が鎌吉である。信栄の歿した時、信美は猶幼(いとけな)かつたので、信美の祖父信政は信栄の妹曾能に婿を取り、所謂(いはゆる)中継として信栄の後を承(う)けしめた。此女婿が信階(のぶしな)である。


群馬風俗

Posted by ken at 2005-12-30 23:26:28 | コメント(0) | Trackback(0)

2005-12-29 23:26:11

その八 [ ブログ ]


 大久保忠行は参河の一向宗一揆の時、上和田を守つて功があつたと云ふ。恐らくは永禄六七年の交の事であらう。徳川家康はこれに三百石を給してゐた。家康は平生餅菓子を食はなかつた。それは人の或は毒を置かむことを懼(おそ)れたからである。偶(たま/\)忠行は餅菓子を製することを善くしたので、或日その製する所を家康に献じた。家康は喜び(くら)つて、此より時々(じゞ)忠行をして製せしめた。天正十八年八月に家康は江戸に入つて、用水の匱(とぼ)しきを憂へ、忠行に諮(はか)つた。忠行乃ち仁治中北条泰時の故智を襲いで、多摩川の水を引くことを策した。今の多摩川上水が是である。此時家康は忠行に主水の称を与へたと云ふことである。以上は君臣略伝の伝ふる所である。
 此より後主水忠行はどうなつたか、文献には所見が無い。然るに蘭軒の孫女(まごむすめ)の曾能(その)さんの聞く所に従へば、忠行が引水の策を献じた後十年、慶長五年に関が原の戦があつた。忠行は此役に参加して膝頭に鉄砲創を受け、廃人となつた。そこで事平(たひら)ぐ後家康の許を蒙つて菓子師となつたさうである。
京都風俗

Posted by ken at 2005-12-29 23:26:11 | コメント(0) | Trackback(0)

2005-12-28 23:25:56

 二世良椿信政は [ ブログ ]

二十一歳にして家を継いだ。信政は町医者であつた。伊沢氏が医家であり、又読書人を出すことは此人から始まつた。
 信政は幕府の菓子師大久保主水元苗(もんどもとたね)の女(むすめ)伊佐(いさ)を娶(めと)つた。菓子師大久保主水は徳川家の世臣(せいしん)大久保氏の支流である。しかし大久保氏の家世は諸書記載を異にしてゐて、今遽(にはか)に論定し難い。
 大久保系図に拠れば、粟田関白道兼(みちかね)十世の孫景綱より、泰宗、時綱、泰藤、常意、道意、道昌、常善、忠与を経て忠茂(ちゆうも)に至つてゐる。他書には道意を泰道とし、道昌を泰昌とし、常善を昌忠とし、忠与を忠興とし、忠茂を忠武(ちゆうぶ)としてゐる。此中には道号と名乗(なのり)との混同もあり、文字の錯誤もあるであらう。初め宇津宮氏であつたのに、道意若くは道昌に至つて宇津と称した。
 忠茂に五子があつた。長忠俊、二忠次、三忠員(たゞかず)、四忠久、以上四人の名は略(ほゞ)一定してゐるらしい。始て大久保と称したのは、忠茂若くは忠俊だと云ふ。世に謂ふ大久保彦左衛門忠教(たゞのり)は忠俊の子だとも云ひ、忠員の子だとも云ふ。忠茂の第五子に至つては、或は忠平に作り、或は忠行に作る。伝説の菓子師は此忠行を祖としてゐるのである。
 忠行が主水と称し、菓子師となつた来歴は、姑(しばら)く君臣略伝の記載に従ふに、下に説く所の如くである。


西川口風俗

Posted by ken at 2005-12-28 23:25:56 | コメント(0) | Trackback(0)